台風15号を経て――“暮らしの学び”とワクワクに満ちあふれている農家民宿の再生【Vol.1】

公開日: 2019年11月27日

2019年9月9日未明、台風15号が千葉県南房総エリアを襲いました。コンパクトゆえかつてない暴風をともなったとされる台風で、私たちのまちは一夜にして被災地そのものになりました。あれから2ヶ月余り、いまだ町はブルーシートだらけ。AWANOの通常のサービスを再開できる状態にはありませんが、今の私たちにできることとして、館山市内の農家民宿「土の環(つちのわ)」の再生の様子を発信していくことにしました。「土の環」オーナーの土屋さんを筆頭に、書き手はリレー形式の予定です。(全5回)


Vol.1 築100年の古民家が台風被害に。瓦降ろしから始めたら、自然素材がどんどん出てきた!


「土の環(つちのわ)」とは

2018年から、古民家と農園を舞台に、宿泊と農体験、ワークショップの企画を行っている農家民宿。農のある暮らしとからだケアをテーマに、「“食べる”を楽しみ、からだを楽しむ」を共有、発信。
http://tsuchinowa.com/


台風15号の記憶と6日間の停電

夜遅くなるにつれ風はしだいに強くなり、日をまたぐ前に停電が起こりました。東から南に風向きを変え風の強さがさらに増し、「どんっ、どんっ」と衝撃波のように窓が揺れ、家が小刻みに震えていました。自宅は、「土の環」の拠点である古民家と同じ敷地内にあります。雨戸のない2階に寝ていたため、いつ窓が壊れるか心配で明け方まで眠りにつくことができませんでした。明けて9月9日、早朝、庭に出て表を確認すると、前日とは変わり果てた光景になっていました。


真っ先に確認したのは古民家です。前の地主から引き継いだ母屋、納屋、蔵の三棟の屋根は瓦が飛ばされ無残な状態に。室内は雨漏りであちこちに水たまりと染みができていました。2年かけて少しずつ手をかけたものが、一瞬にして崩されてしまいました。悲しみよりも、とにかく被害の状況を把握しようと必死でした。幸い、自宅には大きな被害はありませんでしたが、その日からは停電と通信の不通で、手持ちの携帯ラジオを頼りに通電を待つことになります。我が家は通電まで6日かかりました。



通電までの生活といえば、卓上コンロとカマドを駆使して食事を作る、日中に陽がさせばソーラーパネルの電力を使って洗濯をする、そして荒れた庭と古民家の屋根の補修をする日々でした。夕方明るいうちに夕食をすませ、夜暗くなれば早めに寝る。毎日ただただその繰り返し。我が家の場合は食に不安はありませんでしたが、停電にともないお湯が使えず水浴びだったのがつらかったです。9月初旬でまだ暑かったけれど、それでも真水のシャワーはつらいものなんだなと気づきました。今思えば、日常を噛みしめるよい経験だったように思います。あらためていろいろなことを考えさせられました。


今後どうしたいか、いまの答えは「生き物が環境に適応し進化するように」

現在、ブルーシートによって何とか雨漏りは防げていますが、修復をお願いできる業者さんの数が少ない上に、南房総エリアの家はどこも同じ状況のためかなりの件数待ちの状態です。ただ待つだけではどんどん建物の傷みがひどくなってしまいます。さらにすべてをプロへの依頼することは資金面で大きな負担になることを考え、自分たちでできる限りの修復をしていくことに決めました。



そして、建物の修復に限らず、土の環としての場を再生していきたいと思います。今回の台風がきっかけで、これまでは知り得なかった方たちとのつながりを作ることができました。生き物が環境に適応し進化するように、新たな環を広めて先に進んでいきたいです。


瓦の下は粘土と、なんと杉の樹皮だった! 屋根の修理だけで驚きの連続

台風から約1ヶ月後の10月半ば、屋根を覆っていたブルーシートを外して、本格的に屋根の修理に取り掛かることにしました。三棟のうちいちばん難易度の低い納屋の屋根からスタートです。



まず瓦を外して屋根から降ろします。



我が家の屋根、瓦を外すのは造作ありませんでした。と言うのも、外してビックリ、固定もされておらずただ乗っているだけでした。現代の工法では瓦を釘とビスで止めるようですが、「土の環」の古民家は、納屋の造りもだいぶ旧式のようです。瓦の種類と状態を見ながら残すもの、廃棄するものの選別もします。残すものの中でも瓦としての再利用するものと、ほかの用途に流用できそうなものを分けて保管します。



瓦の下には大量の粘土状の土。さらに土の下には杉の木の皮が敷いてありました。これは湿式工法のべた置きといってかなり昔の方式らしいです。粘土は塊で状態のいいものと、細かく枯れ葉などが混じったものを選り分けて土嚢袋に入れておきます。次に杉皮を外し、これまた1ヶ所に重ねておきます。



業者さんに依頼した場合の屋根の解体では、このようは手間のかかる仕分けはせず、ひとまとめにゴミとなるところでしょうが、個人での作業であればゴミが減るうえに散らからないので、かえって作業がはかどるのではないかと思います。そして何より、ただゴミにするにはもったいないと思うのです。


ここまでの作業を丸二日かけてなんとか終えることができました。終えてみてまず思うのは、屋根ってどんだけ重いんだろうということ。廃棄の瓦だけでも軽トラック4台分あったんじゃないかと思います。そして大量の粘土、これまた軽トラ2台分くらい。そして山もりの杉皮。今回は屋根から降ろす作業なので上げることに比べたらラクなはずなのに、疲労が半端ではなかったのか、二日目は疲れすぎてなかなか寝付けないほどでした。寝返りうつのがつらくて、翌朝は身体がガチガチに。この屋根を葺いたころの職人さんはさぞ大変だったろうと思います。昔の人の体力をまざまざと体感する体験の一つになりました。



そしてもう一つ気づいたことは、使用している材料がすべて自然の素材ということ。瓦を除き、粘土、土、杉皮、木材はほうっておけば分解されて自然に還る材料なので、そのままにしておけば、勝手に土になってそこには草木が生えるようになったんだろうと。そんな想像をすると、それはもはやゴミではなく肥料とも言えるし、ムダがなく合理的にも感じます。


その循環の意識にならって、我が家では、分類した材料を別の形で生かそうと考えています。身のまわりにあるものでのブリコラージュ。ブリコラージュとは、寄せ集めで何かを作ったり修繕したりすることです。キツい作業のおかげで新たな命を創造する楽しみができました。


根っこは自らの幼少期。そして、からだの専門家として見た農の可能性のこと

連載第1回の最後に、自分のことを少しだけ紹介させてください。私は千葉県北の農家の家に生まれ、幼少期を茅葺屋根の家で過ごしました。玄関を入ると広い三和土(たたき)の土間があり、家の中にいろいろな虫がウロウロしていたのをよく覚えています。家のすぐ裏手には山があり、裏山を登って両親の仕事場である畑に遊びにいっていました。家の敷地には果樹や自宅用の野菜畑があり、季節ごとに芽を出し食卓を彩ってくれていました。祖父母に面倒をみてもらうことが多く、祖父は庭木の手入れと木工、祖母は味噌や梅干しなどの保存食づくりと、さまざまな家仕事に触れる機会が多くありました。



田舎に生まれた私は都会に憧れ、健康業界に入りました。フィットネスクラブのアルバイトスタッフからはじまり、理学療法士として一時医療の道に入りました。その後パーソナルトレーナーという個人のクライアントの健康づくりをメインに健康に関わる仕事をしていました。妻も自身がダンサーとして舞台に立つかたわら、ダンス指導でキッズフィットネスに携わっていました。そして、結婚を機に健康のこと暮らしのこと、身体の捉え方に緩やかな変化が生じます。


暮らしの拠点を地方に移すことを決意し、農を暮らしの中心に据えたことで、その変化はさらに大きくなりました。土づくりの考え方、住まいの考え方は身体の考え方と共通する部分が多くあります。身体の根本にはその人の食べ方、感じ方、暮らし方が深く関係していると思うようになりました。そして農には現代に足りない部分を補う要素が多くあると感じたのです。ちょうど身体にとってのビタミン・ミネラルのようなものだと思います。今後、そんな視点も交えながら「土の環」の再生の様子をお伝えできたらと考えています。



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